口付けのサイン
いつものように数歩置いて長身の背を追う。自宮の外に一歩でも出てしまえば、そこからは上下関係の厳しい十刃と従属官を装うのがふたりの暗黙の了解だ。主が死神の支配者に呼ばれれば身を引き、他の十刃と話す時も、下位の破面を無闇に殺めた時も、獲物を狙って砂漠を延々と歩く時も、絶対に邪魔をすることなく、しかし万が一に備えて探査神経を張り巡らせることが自分の務めである。そしてひとたび命令が下れば、いつでも我が身を差し出し飛び込む覚悟だ。このことだけはずっと、何年も変わらないことだった。ただひとつ、自宮内においてのこと以外は。
ふたり揃って宮へ帰ることが一番の幸福だと思う。
「お疲れでしょう」
柔らかく叩いた寝台へ主を誘導した。どさりと荒っぽく腰掛けた主にひとまず温かい紅茶を淹れようと踵を返したが、直後に上着の裾をぐいと引かれ慌てて振り返った。
「申し訳ございません」
主の視線が物語ること。軽く礼をし、その薄い唇にくちづけた。待ち侘びて誘うように結び目が解かれると、やがて熱を帯びる行為を助長する。するすると心地よい黒髪を梳きながら、身長における距離を縮めるために乗り上げた膝が寝台を軋ませた。後頭部の孔を包むように抱え、背を支える腕に力を込める。それはまるで主の階級を奪うかのような背徳感がある。肩甲骨がきゅうと手のひらを擦り、金のブレスレットがかたかたと震える音を聞きながら、止め処なく溢れる胸の内をそのひとときに託した。
余韻を残したままの熟れた唇が僕の名を呼んだ。その艶かしい声とは裏腹に、大きな手がぎゅっと上着を握って離さない。まるでこどもみたいだと頬が緩むのを気付かれぬようにふわりと抱き締めたら、ここから先は僕たちの秘めごとだ。
一歩でも宮の門を潜ったら、そこはふたりのパーソナルスペースである。この毎日がいつまでも続くようにと、届くはずのない願いを虚圏の月に祈った。
口付けのサイン
甘えて甘やかすふたりでいて欲しい