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Rose,lose,Rose.


 常夜の闇に紛れて見えないのだと思った。

 はじめは手当たり次第に腕を振り回して探った。見えないというだけで、ひどくおそろしく感じたのだ。深い夜に重く纏わりつく霧をひとり払っていても、両の腕だけではまるで役に立たず、それは濃くなるばかりである。その葉の一枚にすら掠りもしないことに苛立った。ただ「踏み込むな」と言わんばかりの身の毛もよだつような圧力だけを感じた。その陶磁器はピクリとも動かない。硝子に映り込む隙もない。白魚は身を潜めたまま。白いはずの燕尾すら黒に翻り、見失った。
 
 迷路の足取りを遡ることはできない。夜に包まれてしまった時は、身を委ねて日が昇るのを待つ方が利口だ。ある時から力ずくで探ることをぱったりとやめた。けれども待ちわびた最初の夜明けは雨に見舞われてしまう。御簾に隠れたような微細な雨粒の隙間からその黒い花弁が薄っすらと見えるものの、取り巻く枝葉は鋭い棘を剥き出しにしていた。しかし今度はその棘に触れることができた。花をつけるまでに吸い上げてきた赤い水は宵闇のように深く深く墜ちていくばかりで、それは近付こうとする他者だけでなく自分自身をも傷つける棘を無為に磨くこととなってしまったようだ。霧雨に変わっていく。次第に明瞭さを取り戻してきた視界に映った黒い薔薇。きらきらと玉のように輝く雫は頬を伝うそれと酷似していた。

 幾度目かの朝を迎えた。降り続いた雨は漸く上がり、雲間から待ち望んだ日差しが差し込む。滴り落ちる雨水の音を聞きながら、今日は茂みへ足を踏み入れることにした。その枝葉には棘がある。確かにあるのだが、かつての威嚇を思わせる鋭さが不思議と感じられなかった。撫でる手つきで触れてみればそれはちくちくとまるで擽るようである。黒いと思っていた花。こちらをくっきりと映した雫が地に落ちた。弾けた王冠は青に溶け、そこに在る陽を浴びて開いた花弁は、降り積もったばかりの雪のように真白だった。

「面白いことを云う」
 自分は元から白だったと笑われた。では黒く見えたのは錯覚であったのか。うやむやに流そうとする背を捕まえて、胸ぐらを掴んで詰め寄った。一瞬だけ眼を見開いたがすぐに細められ、身長差を縮めるように背伸びをした唇が答えた。
「何も間違ってはいない。お前が視た通りだ」
 透き通った碧は揺らぐことなく、その様子にぞくりと嫌な予感がした。それは致命傷から避けるために本能から警告が発せられる、獣の勘のような感覚だった。ざわざわと騒ぐ胸を掻き毟って、今は決して離すまいと、目の前に確かに在る白を両の腕で抱き締めた。

(黒い花弁を再び目にすることがあれば、それは最期のときかもしれない)
Rose,lose,Rose.

2017/05/25
2019年のピクブラローズフェスにも参加
薔薇鉢の手入れをしながら思いついたネタ
薔薇に見立てたウルキオラに、グリムジョーが距離を縮めていく話

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